2001 対人恐怖 音と酒に溺れて
こんにちわ☆
ようこそこじま劇場へ('ω')ノ
さて今日のお話は
の続きです。
なかなかに痛烈な高校デビュー。
学生時代はギターにバイトに
夜遊びに...といった感じを
想像していただければ
よろしいかと(-ω-)/
ずーっと心にカギをかけて閉ざして
キレて哀しんで...。
でも人生を今後どんな風に生きていくべきか...
を真剣に考えて。
大学進学も考えたけど
確固たる理由がなかったので
しませんでした。
え~。活字にするのは初めてですが
タレント養成所の研究生
だったことがあるんです(笑)
半年くらいで辞めちゃいましたけど( 一一)
なにかを表現したいと
漠として考えていて。
結局のところ僕は
”音”を選んだ。
おれはバンドをやる!
メジャーデビューする!
ギターを弾きベースを弾き。
作曲もして一緒に音を出す。
仲間を集めて
ライブでのしあがっていく。
CDだしてプロモーションビデオ撮って...。
と夢を膨らませるのはいいが
とんでもない副作用が待っていたのでした。
ここからは
うつ病とやっかいなタッグを組む
SAD(社会不安障害)と
アルコール乱用に堕ちていくお話です。
うん。また暗いね(笑)
Vの字の逆頂点の谷底のあたりです(+_+)
サクセスストーリーはね
一度ドカーン!と堕っこちないと
つまんないだよね(笑)
ガンガンとコアなこじまが現れてきてますが
大丈夫ですか?(-ω-)/
じゃあ今日もお氣をつけていってらっしゃい!
人が怖い
ステージに立ってスポットライトを浴びる。
たくさんのひとに求められる存在。
自分の心の内を見事に表現しきって
ファンを獲得していこう。
と考えるものの
人が怖い。
人から見られる目線が突き刺さる。
大阪の街に出る。
初めてミナミ(心斎橋)に行ったのは
楽器屋のメンバー募集の張り紙で
出会った人と初めてスタジオに入る日でした。
たくさんのひとが終電間際にも関わらずいた。
笑い声が聞こえる。
ぼくは自分が変で笑われているんじゃないか
という意味のわからない妄想を
遮ることができない。
心斎橋に向かう前から
「帰りたい。イヤだ。」
半泣きだった。
え?なんで?音楽するんでしょ?
バンドでのし上がっていきたいんでしょ?
ワーキャー言われたいんでしょ?
なのに...ひとが怖い???
くそっ。くそっ。クソッタレ!
甘えてるのか?
あの時のぼくは自分のことを
メッタ刺しにでもしているかのような
否定っぷりで。
怒りのエネルギーだけで生きていた。
高校1年生の自分に砂をかけてかけて
かけまくって...。消したかった。
ただそれだけのために
躍起になっていた氣がする。
ちょっとずつ...ちょっとずつ...
ベースもうまく弾けるようになってきて。
ギターもギタリストでも通用するくらいに
弾き倒していて(*´з`)
実力をつけるために3つも4つも
掛け持ちでバンドして。
自分が一番年下のメンバーなのに
リーダーであることも多かった。
目がギラついていたとおもう(笑)
真剣にやろう。人生かけてやろう。
中途半端は許さない。
それは自分にもメンバーにも。
圧倒的な何者かになりたかった。
またなる必要があった。
ひたすらに腕を磨いて
人生の下克上をかましてやろうと誓っていた。
初ステージは神戸は三宮のライブハウスだった。
下手なりにノリノリにパフォーマンスやって。
でもほかのメンバーは下を向いて演奏してて(笑)
あまりのへぼさに客席から
空き缶が飛んできたけど(爆笑)
バンド活動を通して
思いっきり自分を表現する。
怖い...。だが望んでる。
でも...。
これをずーっと繰り返しているうちに...。
グチャグチャのカオスな自分のなかで
「対人恐怖版荒療治」を
してたんだろうと思います。
結果的にですがある程度は
良かったと思う。
ひとと関わるようになってきた。
ひとと話せるようになってきた。
ただひとつだけ問題があった。
アルコール乱用
生きづらい。逃げたい。助かりたい。
アルコール依存症というほどでもないが
アルコールの問題を抱える常用者を
アルコール乱用者と呼ぶ。
基本的には乱用しており
一時は依存症レベルだったと自己推測。
どちらにせよイカレてましたけど(-o-)
過去をいつまでも切り離せず
現実を受け入れられないこじまくん。
大人はツラいことがあると
酒を飲んでいたな。
飲めねーのに
オトナの真似事をし酒を飲むように。
もう味なんかどうでもいい。
ただ酔いたいだけ。
逃げたいだけ。
ぶっ潰れたいだけ。
一人暮らしをはじめた20歳。
生活はローションまみれのすべり台を
滑走するように
転げ落ちていきましたよね\(-o-)/
あっという間でした。
60kg台だったスリムなボディは
86kgという
ガマガエル型の
ラスボスか!!
ってなくらいに
貫禄のある腹に\(-o-)/
首も消えてしまいました\(-o-)/
朝、昼、晩関係なしに
アルコールを常用する日々。
もうなにもなかったですね。
なにがなかったってお姉さん。。。
日常がなかったよ。
20代はトータルで
浴槽200杯くらいは
飲んだんじゃないですかね。
脳みそがおかしかったね。
ついには
幻覚の一歩手前の「幻視」が現れ
ピカッ!ピカッ!と閃光が見え出した。
宇宙人からのコンタクトか?
スピリチュアルに目覚めたのか?
などと腑抜けたことを
真剣に考えていたのは
ここだけの話。
抗酒剤を服用して
背水の陣でアルコールを断絶した。
※『抗酒剤』・・・
ノックビン・シアナマイド。肝臓でアルコールを無毒化する酵素の働きをシャットアウトする薬。アルコールとの併用は命を落とす。ノンアルコールビール(アルコール度0.3%未満)を飲んでも身体が赤く反応する。
それでも再飲酒(スリップ)したり
35歳以下の若者向けの
断酒会(AA)に出席したりと
悶絶の日々でした。
25歳にして肝臓を保護する薬(チオラ)
あくびをするだけでえづくほど
胃が荒れていたので
抗炎症剤(ムコスタ・セルベール)まで
処方される始末。
一時は依存症に
片足を突っ込んでいたと思う。
バーテンとお水のお姉さんにこう言われた。
「自分、酒の飲み方おかしいで。」
「イカレてんだろうな。ああ。わかってるさ。でももういいんだ。」
そんな感じのうだつが上がらない日々を
ロックバンドやりながら
過ごしていました。
当時、こんな詩を書いてた。
・激情を煽る雨が
細胞に突き刺さる
ここでピリオドを打って。
・闇の中真意さえさまよって
ここがどこかもわからない。
病んどるわな(笑) お疲れ♪
とりあえず
優れた鎮静作用のある
ラベンダーを2リットルほど
脳髄にぶっかけてやりたい。
2004 錯乱状態
享年未遂23歳
看護師さんの彼女がいた。
一度メンタルクリニックに
行ってみたほうがいいかもしれない。と。
速攻でうつ病認定。
抗うつ薬を飲みだしました。
優しい先生の診断に
物足りなさを感じ
2つ目の心療内科へ。
ところが
相性が悪く薬のモルモットにされる。
1日18錠。
実に1か月で504錠もの
精神薬を飲むことに。
覚えてるだけで
- デパス
- ルーラン
- タスモリン
- アナフラニール
- スルピリド
- イミドール
あとで調べてみたら
抗パーキンソン薬やら
抗不安薬からSSRIまで。
もうわけわからんような
めちゃくちゃな処方だった。
1か月以上服薬すると
廃人になるという
曰くつきの薬も。
こじまの薬嫌いと
自動書記的に
薬を処方する医者を忌み嫌う
原点はここです。
強烈だった。
腹の底からバカ笑いしたと思った10分後
嗚咽がでるほどの号泣をする自分が
意味不明だった。
頭のなかに
キンキンに冷えた氷の棒が
埋め込まれたような激痛を感じて
眠ることなどできなかった。
死ぬ...。
あかん。殺される。絶対ヤバい。
服薬をすればするほど
酷くなっている。
これは一体どういうことか?
本当に処方は合っているのか?
ふざけたヤブ医者は
いるものだ。
ひとの顔も見ずに
やる気なさそうに
ため息交じりに診察する医者。
質問に答えてはくれなかった。
そして耳を疑った。
「そんなに薬飲むのがイヤやったら
根性で治すしかあらへんがな。」
さすがにキレた。
この医者とは本当に相性が悪く
最後は怒鳴りあうという結果に。
ぼくは啖呵を切って通院をやめた。
薬をすべてゴミ箱へかなぐり捨てた。
なーにが精神病じゃ。
そんなもんこの世に
あるわけないやろうが。
フン。自分でなんとかするわ!
だけど本当の苦しみはここからはじまった。
完全にイカレ狂ってしまった。
ぼくは一度ここで死にかけている。
肉体と魂をつなぎとめている
ボタンのようなもの
(アーユルベーダでいうところのチャクラ?)が
剥がれていくような感覚を味わった。
生への執着で元に戻れた氣がする。
「絶対にこんなところで死にたくない。
納得いってない!」
という叫びで
肉体に帰ったような感じがあって。
もうダメだってことで
元の先生のところに舞い戻った。
もう歩いている感覚も
両手両足が付いている感覚もなかった。
身体がただ重かった。
大量の薬の服薬も怖いけど
本当に怖いのはそれを急に
ピタッとやめることだ。
なんとか命をつないで
元の服薬に戻ることになった。
処方箋を頂き服用して20分もたたないうちに
ケロッと体調が元に戻った。
もう薬に支配されており
コントロールが効かない自分に
またショックを受けるのでした。
2007 音我苦①~漂泊~に続きます。